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やっちゃんの手紙・紫陽花・人生のテーマ

2007 - 07/14 [Sat] - 17:58

小さな人生論〈2〉「致知」の言葉 「小さな人生論〈2〉「致知」の言葉 / 藤尾 秀昭」 
この本の中に、こんな事が書いてあった。以下、茶色文字は引用。

 人生のテーマ


 忘れられない詩がある。

 十五歳の重度脳性マヒの少年が、その短い生涯の中でたった一篇、命を絞るようにして書き残した詩である。


  ごめんなさいね おかあさん
  ごめんなさいね おかあさん
  ぼくが生まれて ごめんなさい
  ぼくを背負う かあさんの
  細いうなじに ぼくはいう
  ぼくさえ 生まれなかったら
  かあさんの しらがもなかったろうね
  大きくなった このぼくを
  背負って歩く 悲しさも
  「かたわな子だね」とふりかえる
  つめたい視線に 泣くことも
  ぼくさえ 生まれなかったら

  ありがとう おかあさん
  ありがとう おかあさん
  おかあさんが いるかぎり
  ぼくは生きていくのです

  脳性マヒを 生きていく
  やさしさこそが 大切で
  悲しさこそが 美しい
  そんな 人の生き方を
  教えてくれた おかあさん
  おかあさん
  あなたがそこに いるかぎり

 『知致』二〇〇二年九月号で向野幾世さんが紹介した詩である。
 作者は山田康文くん。生まれたときから全身が不自由、口も利けない。通称やっちゃん。

 そのやっちゃんを養護学校の先生であった向野さんが抱きしめ、彼の言葉を全身で聞く。向野さんがいう言葉がやっちゃんのいいたい言葉だったら、やっちゃんがウインクでイエスのサイン。ノーの時は舌を出す。

 気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれた。そしてその二ヶ月後、少年はなくなった。

 自分を生み育ててくれた母親に報いたい。その思いがこの少年の人生のテーマだったといえる。短い生涯ながら少年は見事にそのテーマを生ききり、それを一篇の詩に結晶させて、逝った。

 生前、一言の言葉も発し得なかった少年が、生涯を懸けて歌い上げた命の絶唱。この詩が私たちに突きつけてくるものは重い。


 ここを読んで、思わず涙してしまいました。自分の姉と母を思い出してしまいました。

 二歳違いの姉は、ダウン症の障害者でした。4、5歳の知能しかなかったと思います。自分が子供の頃は、時々気が荒れるときがあって母親に石を投げつけることもありました。そんな時の姉は、髪の毛が逆立ち般若のような面相でした。自分は母親の後ろに隠れておびえていたことを覚えています。

 今日のように雨が降る日に、姉と母と3人で電車で出かけていったことがあります。自分が小学校3,4年の頃だったと思います。行き先は、小さな精神科の病院・・・・その建物の周りにはたくさんの紫陽花が雨に濡れて咲いていた記憶があります。たぶん精神鑑定を受けに来たと思いますが、なぜ弟の自分を連れて行ったのか・・・・たぶん母は、心細かったのかもしれません。

 小学校、中学校は養護学級で無事卒業しました。卒業後、母は内職を見つけてきました。小さな電子部品が袋にたくさん入っていて、一つずつバリを取るという仕事でした。姉は一生懸命しましたが、うまくできません。納期があるので両親や自分も手伝うことがありました。

 しかし、姉はやらなくなってしまいました。うまくできないからです。「何で、こんな簡単なことができないんだ」と父が癇癪を起こして怒鳴っているのを記憶しています。でも、けっきょく内職は止めてしまいました。

 でも、姉には立派な仕事がありました。それは、洗濯や留守番です。洗濯機やガス器具は丁寧に教えてやると覚えることができて、料理だって少しはできるようになりました。両親は、共働きでしたから、洗濯をしたあとは家の扉を全部閉めてじっと留守番をしていました。真夏でも、扉を閉め切ってじっと家族の帰りを待っていました。

 そのころの自分は、そんな姉を煙たく思っていました。友達にも見せたくありませんでした。だから、家にもあまり友達を呼びませんでした。でも、姉は自分を好いていました。洗濯もしてくれたし料理も作ってくれました。

 時は流れ、自分が27歳の時に父が脳梗塞で3年寝込みました。その間、母と姉は父の介護をしていました。姉は20歳を過ぎてからは、子供の時のようなことはなくなって、いつも穏やかでいました。子供が好きでした、朝や夕方は通学している小学生を物陰からいつも見ていました。「今日は、誰々ちゃんはお休みかな風邪をひいたかもしれない」というように報告してくれました。

 このころの父は、病気で体が不自由になって時々心が荒れることがありました。父の世話をしていた姉は、父に怒られたと、泣いているときもありました。自分が機嫌の悪いときは、悲しそうに見ていました。冗談を言えば笑ってくれました。焼きそばや焼き肉を作ってくれました。美味しいというと、とても嬉しそうでした。

 母は、自分が死んだら姉が不敏だといって、姉の下着や生活用品を、まとめ買いして、5年分、10年分、20年分とタンスにしまい込んでいました。いずれ結婚した自分の嫁さんに、もしその時自分がもういなかったら、ここにあると伝えてくれと言われたとがあります。

 当時自分は、何度も恋愛をしましたがすべて破局しました。彼女の周りのすべての人間に、反対にされるからです。二人は頑張りますが、そのうち疲れてくるのです。何回も経験しました。そのたびに、けっきょく自分に魅力がないからだろうと思いました。

 ほんとうの愛とはいったいなんだろう、結婚ていったいなんだろう・・・・。けっきょく、離婚したり、冷めて暮らしているじゃないか・・・・。日々悩みました、自分の運命を呪うときもありました、趣味に没頭して逃れようとしました。

 そして、雨ばかり降る六月に父は目を落としました。葬式の時も紫陽花に雨が降っていました。一週間ほどあとの落ち着いたある日、母と姉と三人で外食に行きました。

 姉は美味しそうに「うな重」を食べました。そして喫茶店にも行って、チョコレートパフェを食べました。お腹が一杯みたいでしたが、必死で食べていました。たぶん、あまりこういうところに来て食べたことがないからです。そんなに無理して食べなくてもいいんだよ、ゆっくりたべな・・・・って、母と言いました。

 このとき、自分は思いました。 「母と姉と3人で生きていこう。もう結婚なんてしなくてもいいじゃないか。いずれ母が死んでも、姉の面倒は自分が見る。それでいいじゃないか」 と。美味しそうにパフェを食べる姉を見ている自分はとても心が穏やかになった気がしました。

 ところが、翌日、急に姉が苦しみだしたのです。お腹が苦しそうです。自分のことはうまく言えないので、どこが痛いのかも分かりません。いっこうになおる気配がないので、病院に連れて行きました。それは、土曜日の夕方です。

 その小さな病院はお休みでした。見られないというので、苦しがっている人間を前にして・・・・自分は怒り、泣いて見れくれと頼みました。面倒くさそうに苦しんでいる姉を見ながら鎮静剤を打ってベッドに寝かせて一晩様子を見ると言いました。お休みだから検査もしないといいました。一度夜中に看護師が来て鎮静剤を打ちました。あまり効き目がなかったのか、姉は朝まで悲鳴を上げて苦しみました。

 母と二人で交代で汗を拭いてあげました。朝の4時頃、ス~ッと静かになりました。姉は自分を見ながら目を閉じました。それを見ていた母は、看護師を呼びに行きました。看護師は血圧を測ったとたん病室を飛び出していきました。

 姉の血圧はすでになかったのです。先生が飛んできました。ご臨終ですと言いました。なんだか、よく分かりませんでした。原因がわからないので解剖させてくれと言った先生に、母は断りました。「体を切りきざまれるわけにはいかない」と言ったそうです。

 そして、兄に迎えに来てもらいました。二日間泣きました。葬式の間中泣いていました。自分が、3人で暮らそう、結婚なんてしなくても良いと思ったから、父が連れて行ってしまったと思いました。涙がかれるほど泣きました。父が死んで二週間後のことでした。天命を不思議に思いました、自分にどう生きろというのだろうか・・・・・・。

 葬式で喪主の自分は、手伝いに来てくれた隣組の人たちに言いました。「ぜんぜん、みなさんとは話しもしなかった姉ですが、皆さんの子供たちをいつも見ていました、心配をしていました。皆さんのことは、みんな知っていました、きょうはお手伝いしてくれて喜んでいます」 皆さん泣いてくれました。姉のために泣いてくれて、凄く嬉しかった。

このときも、庭に紫陽花が咲いていたのを覚えています。


 人は皆、一個の天真を宿してこの世に生まれてくる、という。その一個の天真を深く掘り下げ、高め、仕上げていくことこそ、各人が果たすべき人生のテーマといえるのではないか。


 姉は33年の短い生涯を閉じました。母と二人で、新品の姉の下着を燃やしました。母より先に逝ってしまうとは思いもよらないことでした。もう、20年分の下着は要らなくなってしまいました。何のために、姉はこの世に生まれてきたのでしょう。お化粧も、お洒落も、恋愛も、しませんでした、できませんでした。人間ていったい何なんでしょう。よく考えました。
 
 それから、母と自分の二人暮らしが始まりました。お見合い話が次から次へときました。3か月後、今の妻に出会いました。結婚したら絶対浮気は(遊びも)しないと決意していました。姉がこの世に生まれてきたわけが、これにあるような気がしました。本当の愛を見つけるためです。これが、「姉と自分の」人生のテーマだったかもしれない。翌年の春、結婚式をしました。そして、男の子が3人生まれました。長男が生まれて20年がたとうとしています。自慢ではありませんが、この20年間他の女性と手もつないでいません・・・苦行!?。(苦笑汗

 母は、持病の糖尿病で心臓が悪くなり、10年前の春、私の膝元で目を落としました。これも、突然のことでした。もう長くなるのでここでは書きません。


 雨の紫陽花と、このやっちゃんの詩を読んで、いろいろ思い出してしまったのです。まだまだなのです。人の生きる道をウロウロしながら生きているのです。



 「我業精進、忍終不悔」---わが行は精進して忍んで終に悔いない。
 『大無量壽経』のことばである。永遠の人生のテーマがここにある。

「がぎょうしょうじん、にんじゅうふげ」---
                   わがぎょうはしょうじんしてしのんでついにくいない。
 『・・むりょうじゅきょう』


我業精進、忍終不悔 (がぎょうしょうじん、にんじゅうふげ)
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