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虚構の世界
よい天気だ。
夏椿の根元に鎮座しているラビット君もなにやら春の予感がするのか、嬉しそうな顔に見える。
マンションのお掃除も終わり澄み切った青空を見上げ「今日は楽しいお酒を飲みたいものだ。けれども、本音の話はまずできないだろう・・・」などと思いながら、いつも間にかうつむいている自分。
ラビット君の顔をしばらく見つめる。 年が明けて幾度か顔を見た。7キロ落ちた体重も元にもどり顔色もよい。
お正月からあまり進んで飲む気分でもなかったけれども、義務感のようなものだろうか。身体も回復してお酒も飲めるようになって楽しみにしているようだったし、自分もそういう時間を費やす方向に持っていきたかった。
「ども、お待たせ」
「お~ぅ」
そこには、いつものように読書しながら弟を待つ兄が座っていた。
去年と同じように薪ストーブの上には土鍋がセットされ、その横にあるヤカンからは白い蒸気がゆらりゆらりと立ち昇り、焼酎のお湯わりを待ち構えていた。 「カツオのたたきとたこ焼きが無性に食べたかったんだよ」などと云いながら、スーパーで買ってきた、牛のサーモン、カツオのたたき、たこ焼き、チーズなどをそわそわと並べる。
いつものように定番の、キムチ、漬物、にんにくが並んでいる。鍋や料理は義姉さんがセットしてくれたものだ。
薪ストーブの上で焼いたホクホクのにんにくはとても美味しい。サーモンやたたきも少しの焦げ目を入れるぐらいに焼いて口に入れ、焼酎のお湯割をツツっとすする。
お昼を控えめに食べたせいか、アルコールが急激に全身に廻る。少し不安になるが、ぃや、そうでもない好い心持だ。
「美味しいなぁ~」
いきなり、こころの奥底でククッと涙が湧き上がるのをこらえる。この続きに何か言葉するとあふれ出てくるような思いがするので、口をつぐむ・・・。
年末の出来事はそことなく話をしたいようで、ふとその話題を持ちかけてくるけれども、どう対応していいのかよく分からない。自然と言葉を選んでしまう。10歳離れている兄弟ということもあるのか、普通でも以前から本音の話ができないところが多々ある。
こういう場合は、素に戻るしかない、本当の自分を出すしかない、と、思うのだけれど、人間は虚構の世界に生きている。本音を言い切れる場面は少ない。心にも思っていないことを口に出しているときがある。それでも、いいのだと自分に言い聞かせながら・・・。
サッと斜に構えて話題をそらすかのように、当たり障りのない返事をする。
「ハハ、大丈夫だよ。時が過ぎて、季節が変われば、誰も忘れるだろうし、話題にものぼらなくなるよ」・・・と。
「そうだね、とてもビックリしたし、大変だった。そしていまでも、ふと、思いふけるときがあるよ。そぅ、同じようにね。けっこうトラウマになってしまったかもしれないんだよ」などと云うふうには言えない。
太宰治や芥川龍之介は真の人間の姿を追い求めた。太宰治は、虚構の世界で真の人間の姿を実際に実践した(たぶん)。正直に生きれば生きようとするほど、この世では生き抜くことができないのだろうか。
そして、苦闘する。幾編もの小説を書き上げ、自分に問い、闘い、世間にも問い、そして問われ、罵倒されたりもする。人間の道、考え、生き方を、文学上に作り上げていくエネルギーは寿命を何年も縮めるほどだろうと思う。
そして、人は虚構の世界でしか生きていくことが出来ないと結論を出す(たぶん)。そんな世界が耐え難く、そこで生きていくことが出来ないのであれば・・・・、自ら逝くしかないのであろう。
しかし、文豪夏目漱石は違うと思う。親友「正岡子規」の闘病生活を見たし、自らも病魔と戦う漱石は己の生を自ら選択できなかったからだ(たぶん)。
漱石も虚構の中で生きる人間の真の生き方、自分の生き方を、文学を通じて淡々と追求する。虚構や偽善の世界に生きる人間などというものは、幼少の頃の経験で知らず知らずに心の奥底で理解していたと思う(たぶん)。
この『門』で登場する、夫「宗助」妻「御米」二人は重い過去を背負いながらも崖下の小さな借家に住み。日が暮れるとランプの灯りの下で、寄り添い語らい二人だけの世界で寂しくも睦まじく静かに暮らしている。
二人のあいだの過去に何があったのかは分からない。けれども、二人してそれには触れずに日常の暮らしを淡々とこなし、質素だけれどもとても幸せそうだ。時は静かに流れ過ぎていく。
でも、その生活は他の人間たち人間社会に、否応なく引きずり込まれ、運命をも左右されてしまうことが大いにある。弟がこの家で下宿を始めたり、御米さんが突然大病したり、あまり人付き合いもしたくないけれども大家さんと仲良しになったりする宗助。
二人の過去に何か関係あるのか親友がこの大家さんの関係で突然の出現したりして、二人の慎ましい生活が崩れてしまうような不安なことがポツリポツリと起きる。
そんな出来事につぶされそうになる宗助は禅寺の門をくぐる。そこで何か生きる道筋とかを見つけようとしたのだろう。もしや、全てを捨て出家してしまうのかもしれない。だが、結局、何もつかめないまま自宅に帰ってくる。
御米が云う「春が来たね」宗助が云う「またすぐ冬だよ」と、ありふれた日常の会話でこの小説は終わる。
「また、くるよ」
「ぉう、またな」
いつもの変わらぬ別れの言葉を交わす。
過去の出来事を背負い、時には怯え、時には不安を抱く。そして、泣いたり、笑ったり、季節が移り変わるがごとく各々の人生も移り変わる。そして虚構の世界で「時」は、静かに流れ刻まれていく。
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